木もれび 第88話
M木輪 芳野栄氏
「修業」は「修行」

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 何かへんてこなタイトルになりましたが、私はパン店で技術や技能を身につけていく「修業」に一所懸命力を注ぐことは一つの「修行」だと思っています。
 広辞苑によると、「修業」とは、学問・技芸などを習いおさめることとあります。一方「修行」とは、精神をきたえ学問や技芸などを修め磨くこととあります。ですからパン店でパン造りの技術や技能を高めていくことは「修業」にあたります。さらに「修業」が全て終了する際には「卒業」という言葉があります。一方「修行」はもともと悟りを求めて仏の教えを実践するという意味もあることから、「修行」には終了に該当する言葉はないと言われています。
 さて、現在木輪の社員は将来に向けてパン造りの技術や技能を高めるべく毎日「修業」に取り組んでいただいています。しかし、こうした毎日の「修業」も技術や技能を高めていく上では、お坊さんが悟りをひらくために取り組んでいる「修行」と何ら変わらないと思っています。一般に修行をいうと坐禅であったり、滝に打たれたりと体に刺激を与えるような行(ぎょう)をイメージしがちですが、私たちが毎日取り組んでいる「修業」も立派な「修行」に当たるのではないでしょうか。毎日遅刻せず早朝から出勤する。これが一番のつらい修行に他なりません。毎日の健康管理や食事の管理、睡眠の管理をしっかりやることが求められます。就業時間は気を抜くことなく仕事に集中し、良い商品に仕上げていく。毎日同じことのくり返しの中で工夫や改善をおこない、昨日より今日、今日より明日とよりよい商品をより速くお客様に提供すための行動を怠らない。  さらに木輪では、思いやりを大切に考えている上から「笑顔であいさつ」や「ありがとうございます。」という周囲のスタッフに対して、思いやりをしっかりと実践しています。また職場では、わがままを抑え周囲の人との調和を大切にしていく。こうした行為も立派な「修行」と言えます。
 このように毎日当たり前にやるべきことを当たり前に実践していくことは、お坊さんのきびしい「修行」と何ら変わりません。「修行」とは良心に基づいた行動をひたすらくり返す行為をいうのだと思います。したがって、毎日取り組んでいる「修業」が自分だけの思いに従った行為である限り「修行」とはなりません。毎日の「修業」が、自分の未熟な思い方や考え方や行動を正し、本来あるべき姿へ自分を修正していく行為となったときに「修業」が「修行」へと変化していくのです。
 木輪のあるスタッフに「修業」と「修行」の違いをたずねたところ「修業」はどちらかと言えば考えながら学ぶこと、そして「修行」とは行動することによって学び、本来あるべき姿を身につけていくことですとその差を明確に述べてくれました。パン店で「修業」し、一人前の職人へと成長していくと同時に、高い人間性を備えた一人前のプロへと成長できるように「修行」を積んでいただきたいと思っています。

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